大判例

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東京地方裁判所 昭和35年(刑わ)2334号 判決 1960年7月11日

被告人 小野田企一

大七・一・九生 会社員

主文

被告人を懲役一年に処する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和二八年四月下旬頃名古屋市中村区泥江町三丁目七番地山田銀市方及び同区大閤通り二丁目三八番地村木平蔵方に於て右山田銀市に対し、真実柴田ふさから売却方委任を受けた事実がないのに拘らず、「名古屋市南区松池町二丁目四五番地に所在する木造瓦葺平家建家屋一棟(建坪一七坪七合)を売却することを右家屋所有者柴田ふさから一任され委任状まで貰つてあるからこれを代金九万円で買受けて貰いたい」旨申し向け其の旨同人を誤信せしめ因つて同年五月五日同市中区古沢町六丁目二番地司法書士柴山兎司夫事務所に於て山田銀市から前記村木平蔵を介し右売買代金名下に現金九万円の交付を受けてこれを騙取し

第二、昭和三四年五月三〇日午後一時半東京都文京区小石川二丁目一番地後楽園競輪場裏門前路上に於て斉藤恒助管理のラビツト一台(時価一〇万円位)を窃取し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(確定裁判)

(イ)  被告人は昭和二八年八月二六日東京地方裁判所に於て窃盗、詐欺罪に因り懲役十月三年間執行猶予に処せられ右裁判は同年九月十日確定し

(ロ)  昭和三四年六月四日川崎簡易裁判所に於て窃盗罪に因り懲役一年、二年間執行猶予に処せられ右裁判は同月一九日確定したことは前科調書に依り明らかである。

(法令の適用)

法律に照すに判示第一は刑法第二四六条第一項に、第二は同法第二三五条に夫々該当するところ判示第一は(イ)の確定裁判の余罪であつたと共に(ロ)の確定裁判の余罪でもあるところ(イ)の確定裁判は既に猶予期間を経過したので法的効果の見地からはなかつたものとして取扱うのが刑法第二七条の趣旨であるから現在では(ロ)の確定裁判の余罪としてのみ考うべく、又第二は(ロ)の確定裁判の余罪で第一と第二は併合罪の関係にあるので同法第四五条前段及後段第四七条第一〇条第五〇条を適用して犯情重い第二の罪の刑に併合罪を加重した刑期範囲内で被告人を懲役一年に処することにする。

(当裁判所が判示第一を(イ)の確定判決の余罪として主文を二つにしなかつた理由)

確定判決の刑の執行猶予期間を経過した場合にも尚刑法第四五条後段の適用があるか否かについては、昭和二六年一一月二六日東京高等裁判所判決(高裁判例集四巻一三号一九六九頁)昭和二八年七月二八日名古屋高等裁判所判決(高裁判例集六巻九号一二二三頁)と昭和二八年八月三日東京高等裁判所判決(東高刑時報五巻八号三一八頁)はこれを肯定的に判断して適用ありとした。その理由とするところは要するに刑法第二七条にいわゆる刑の言渡はその効力を失うとは「具体的な刑言渡の効力を将来に向つて消滅させるだけで、有罪の確定判決のあつたという事実自体を抹殺する趣旨ではない」(前掲名古屋高裁判決)とか「刑の言渡に基く法的効果が将来に向つて消滅するというだけの趣旨であつて、刑の言渡を受けたという既往の事実そのものまで全くなくなるという意味ではない」(前掲昭和二八年の東京高裁判決)というのである。しかしながら、過去に確定判決があつたという明白な歴史的事実が全く抹殺されてしまつたりまたはそれが全くなくなつてしまうということが認識論上あり得ないことは云うまでもないが、そのようなことは刑法第二七条とは何の関係もないことであつて、同法条は偏えに、法的効果という側面から見て、過去に確定判決があつたという歴史的事実に何等の法的な効果を生ぜしめないことにしようというにあるものと考える外ないのであり、(前掲昭和二六年の東京高裁判決は、前段に於ては「法律上刑の言渡のあつたものとして取扱うことができなくなる」意味と解して正解したに拘らず、後段では「刑の言渡のあつた事実そのものを消滅されるというのではない」と論じて誤解に陥つた)、将にその事にこそ法律上重大な意味があるのである。この事はひとり刑法第二七条のみの問題でなく、大赦ありたる場合(恩赦法第三条)も同様であるし、また刑法第三四条の二第一項(所謂前科抹消制)が一定の期間の経過を以て刑の言渡が其の効力を失うとしている趣旨もこゝにあるものと云わなければならない。

ところが最高裁判所は『刑法第三四条の二第一項に「刑ノ言渡ハ其効力ヲ失フ」とあるのは、刑の言渡に基く法的効果が将来に向つて消滅するという趣旨であつて、その刑の言渡を受けたという既往の事実そのもの(例えば刑法第四五条にいわゆる或罪に付キ確定裁判アリタルトキ)まで全くなくなるという意味ではない』としているから、(昭和二九年三月一一日第一小法廷判決、集八巻三号二七〇頁、但し少数意見あり)傍論的ではあるが、刑法第二七条と同法第四五条後段の点に関しても同様の見解をとる様にも見られる(それ故に前記昭和二八年の東京高裁判決はその趣旨を引用している)けれども、右最高裁判決の事案は、食糧管理法違反、贈賄被告事件について、被告人が嘗て同じ食糧管理法違反罪で罰金五十円に処せられ、既にその執行を終つた後に罰金以上の刑に処せられることなくして五年以上を経過した後に於て第二審(東京高裁)が控訴棄却するに当り理由中で、『右罰金刑に処せられたに拘らず』更に同種の、而も大量の、食糧管理法違反を敢行したこと、その上これに絡んで贈賄までしたこと、其の他諸般の情状に徴すると原審が被告人を懲役十月及び罰金三万円に処し、懲役刑に付三年間執行猶予に処したことは、量刑重きに過ぎるものとは云い難いとしたことに対し、弁護人より既に右罰金刑の言渡が五年の経過に依り効力を失つた後に於て、その前科をとりあげて判断の資料に供するのは裁判所自ら刑法第三四条の二第一項の規定の精神を蹂躙するものであると云う上告趣旨に答えたもので、ある点を特に注意しなければならない。

右最高裁判決の事案の原審たる東京高等裁判所が「右罰金刑に処せられたに拘らず云々」と判示したことが、右罰金刑に処せられた事実をも量刑上考慮に入れたことになる(かどうかは若干の疑問があり、それは単に人格非難の意味を有する修飾句に過ぎず、前の罰金刑の犯罪事実を二重に評価するものではないと云う解釈も可能であり、その様に解釈することが二重危険の問題を回避し得る正しい解釈であると思う)としても、それはあくまで前に罰金刑を受けたということから生ずる直接的な法的効果ではなく、単に量刑と云う法律上の価値判断をする上で前に罰金刑を受けたという事実が事実上判断の資料となつたと云うに過ぎないものであるから本来法的効果のみを問題とする刑法第三四条の二第一項とは何等関係がないものと云わなければならない。そして右判決要旨後段が「刑の言渡を受けたという既往の事実そのものを量刑判断にあたつて参酌することは同条項に違反しない」と云う意味はこの意味に解すべきものと思う。前記最高裁判決の少数意見は『刑法第三四条の二に所謂「刑ノ言渡ハ其効力ヲ失フ」とあるのは、刑の言渡に基く不利益な法的効果が将来に向つて消滅し、従つて被告人はその後においては不利益な法律的待遇を受けない趣旨と解すべきである』という立論の下に『刑の言渡が失効した後において、過去に刑の言渡を受けた事実の存在を前提として、この前科を累犯に算入して刑を加重したり、または刑の量定において被告人を法律上不利益に取扱うことは前記法条に違反するものと云わなければならない』とし、原判決は被告人が過去において食糧管理法違反罪により罰金刑に処せられた事実をも考慮に入れて第一審判決の量刑を重きに失せずと判断したのは、すでに失効した前科の故に量刑において被告人に対し不利益な法律的待遇を与えたものと認められるから原判決は法令違反があるが、その考慮せられた過去の罰金刑は略式命令による僅か五十円に過ぎないものであつて、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとは認められないから違法ではあるが破棄する必要はないとした。惟うに効力を失つた前科を累犯に算入して刑を加重するならば正に法的な効果に該当するけれども、罰金の前科は累犯に算入されることもないし、懲役の前科は十年を経過した後には累犯に算入されることはないから、論者の挙げる前段の事例のようなことは生じない。ところで後者の事例の刑の量定というものは、所定の刑期の範囲内で各種の事情を考慮して裁判官が自由裁量で定めるべきもので、従つてその評価は法律上の価値判断ではあるけれども、前科の事実を判断資料として参酌することが前科の直接的な法的効果であるとは云えない。(尤も論者の云う様に不利益な法律的待遇をすることが即ち法的効果だと云うならば、そう云い得ないことはないかもしれないが、少し広過ぎる感じがするのであつて法律学上で通常法的効果と云うのは或る事実に結びついて直接法律上一定の効果を生ずる場合を指すものであるから、この意味で本文には用いているのである)

そう解釈すれば、既往の効力を失つた前科を量刑判断にあたつて参酌しても、所謂法的効果とは関係ないから前記最高裁の判決の要旨の前段は其の侭維持しつゝ、後段については、別異の理論構成に依り判示結論と同じ見解も成立ち得るのである。そして当裁判所はそれが正しい見解であると考える。

翻つて刑法第四五条後段が適用されるかどうかと云うのは量刑の問題と異り正に法的効果の問題であつて単なる法律上の価値判断の問題ではない。而して若し刑法第二七条の趣旨が刑の言渡に基く法的効果が将来に向つて消滅することを意味するならば矢張り猶予期間が経過した後に於てはその確定判決は、将来の法的効果の問題に関する関係では効力を失つて全くなかつたものとして取扱うのが相当であつて、この点で例えば再度の執行猶予になるかどうかの判断の際猶予期間が経過した前科は全くなかつたものとして取扱うことについては全く異論を見ない(執行猶予に付する要件を備えているかどうかの判断の際も猶予期間経過の前科はないものとして取扱う)のと同一でなければならない筈である。

それにも拘らず前記名古屋高裁判決及び東京高裁判決が猶予期間経過後に於ても尚刑の言渡を受けたと云う既往の事実そのものまで全くなくなるこことはないとしたのは、それがたゞ単に過去の事に関するのだと云う錯覚によるのではないであろうか。しかし猶予期間経過後刑法第四五条後段の適用があるかどうかと云うことは、それに依つて二つの主文になると云う法的効果が生ずるか否かということであり当該確定判決の猶予期間経過の時を標準として見れば明白に将来の事に属するのである。換言すれば既往の事実に結びについて法的効果は将来に生ずるのである。

この様に考えると前記最高裁判決の判決要旨は正しいが理由付には問題があり、その正しい判例理論は前記の様な趣旨にあると解すれば、これと矛盾することなしに刑法第四五条後段に付当裁判所が採用した様な結論を採用する余地があるのである。前記名古屋高裁判決及び東京高裁判決は単純な事実の問題と法律効果の問題という元々範疇を異にする概念を同一平面上に置いて論じている点で到底納得し難いので敢てこれに反した判決をした次第である。

尚蛇足乍ら前記名古屋高裁判決の事案は、確定判決が賍物寄蔵、同収受罪で懲役一年(但三年間執行猶予)及び罰金一万円(執行猶予なし、且つ五年を経過していない)であるから、懲役刑については猶予期間の経過に依り(但し本件では恩赦減軽に依り猶予期間が短縮になつている模様である)言渡の効力はなくなつたとしても罰金刑については尚五年の期間を経過していないから罰金刑は残つている筈であり、此の点から矢張り二個の主文になるのが正しかつたであろう。又当裁判所の様な見解をとる場合には懲役禁錮等の執行猶予の場合は一年乃至五年の猶予期間の経過に依り刑の言渡が効力を失うのに罰金については執行猶予がないと却つて五年以上を経過しないと刑の言渡が効力を失はないことになり、権衡を失するという批難があるかもしれないがこれは己むを得ないことというべきである。

尚刑法第四五条後段の立法趣旨から考えても、本件のように余罪と余罪の間に執行猶予期間を無事経過した確定判決がはさまれている場合に、右確定判決前の被告人の人格と後の被告人の人格とが別異なものとして敢て主文を二つならしめることはあまりにも技巧的に過ぎるのみならず、刑法第二七条の規定が意図するヒユーマニステイクな精神を没却するものであり、到底吾入をして納得せしめることは出来ないのである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 熊谷弘)

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